唐揚蕎麦と大顔ハゲ

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精神的にお疲れモードなので、今日は家で作業。
あっという間に昼になり、何か作るのもタルいな~と思っていたら、娘のお弁当の残り物を発見。
唐揚だ(笑)

精神面がぐったりした時は、しみじみとしたものに限る。
何か、こう、「元気もりもり~」っていう感じじゃなくて、心が癒されるもの。
うん、蕎麦がいい。
唐揚も有るし、弥生軒もどきでも作って食べよう。

弥生軒もどき

弥生軒もどき

唐揚がおとなしい(笑)
この丼は結構小さいので、ここに弥生軒の唐揚を2個のっけたら蕎麦はほとんど見えなくなるはずが、我が家の唐揚は標準サイズなのでこんな感じ。
汁はめんつゆをお湯でのばしただけ。
こういう簡単な作り方の方が駅蕎麦に似ていていい。

蕎麦をサクッと頂いた後は、風呂を沸かして髪を染めた。
この歳になると、1ヶ月もしないうちに耳周辺の白髪が目立つようになってくる。
「生きている証拠ですよ」
確かにそうだ。
でも、気になるものは気になる。
別に白髪が有っても死にゃ~しないんだけど、やっぱり気になる。

以前は、嫁の髪の毛に2個、私用に1個のヘアカラーを買っていた。
市販のヘアカラーというのは、何故中途半端な量しか入っていないのかと昔から思っていた。
しかしだ。
ある時期から、我が家はヘアカラー2個で済むようになった。
そうです。
私がヘアカラー半分で済むようになってしまったからです(T∇T)

私の髪を染めてから嫁の髪を染める。
髪の毛が少なくなって悔しいモンだから、何とか私のヘアカラー1個を使い切ろうと努力するんだけど、嫁に「もういいんじゃない?」などと言われてしまう。
嫁は「もう全体にヘアカラーが行き渡ったからいいんじゃないか」という意味で言っているんだろうが、私には「髪の毛の量に対するヘアカラーの分量を考えろ」とか、「ハゲが染めてもねぇ…」という、ねじ曲がった意味に受け取ってしまう。
人間の感情というものは、難しいんだ。

ハゲでも堂々として居られる国へ行きたい(爆)

以前NAOさんから「たいちょは髪をセットする時に、膨らませるから顔が大きく見えるだけなんですよ」と言われた事が有って、「あぁ、そういう事も有るかな」と良い方向に受け取ってみた。
いつか髪を染める時に、マジマジと見てみようと思っていた。
ヘアカラーを付けて染まるのを待っている間は、髪の毛がペシャンコになる。
その時に自分の顔を客観視すれば、私がどのくらいの顔の持ち主なのかが解るだろう。
しかし染める時は「ちゃんと染まってね」としか考えてなくて、いつもマジマジと見るのを忘れてしまう。
今日は見てみようと思った。

やっぱりデカかった(ノд`)

NAOさん、放課後職員室まで来るように(笑)

そろそろご一緒しませんか(そっちか) (人´∀`)

ここからは全く関係無い話だけど、人間の感情は難しいという部分で引っ張ってみる。

一言で感情といっても、色々有ります。
仲良しグループにも、意識的かどうかは別として、大抵の場合はそのメンバーを引っ張っていく人が居る。
「今度ここに行ってみない?」とか「飲み会しない?」という提案をする人でもいいし、実際に幹事になって場所の予約や料金の支払いなどを担当する人でもいい。
集団の中には、そういう「全体を引っ張って行く人」が居る場合が多い。

少人数の場合は良かったけれど、段々と人数が増えると厄介な問題が増えてくる。
メンバー同士の喧嘩などはまだ可愛い方で、一番厄介なのは、自分がこの仲間の中心になりたいという変な野心の強い人間が出て来ること。
中心に居たいならば、居ればいい。
メンバーの中心で叫べばいいんだ(笑)
しかしそういう人は、中心人物になれない場合が多い。
なれるくらいならば、最初から自然にそうなっている。

何かの先頭に立ったりする人というのは、小間使いみたいなものなんだ。
計画を立てたり、みんなの都合を聞いて日程を調整したり、お金を立て替えたり…
なぁ~んにも良い事なんかない。
有るとするならば、その会なりが成功して「あ~楽しかった」と参加者に言ってもらうこと。
それ以外は、自分のプライベートな時間を使って走り回らなければならない。
そんな事を本気でしたいと思っているならば、先頭にでも何でも立てばいいのだ。

始まりはこう。
今現在中心に立っている人物の、やり方が気に入らなくなってくる。
気に入らないならば、自分の案を出したり、それによって話し合いなりを持てば良い。
しかしそれをしないのは、先程の野心であったり、嫉妬心が関係しているからだ。
これは実に厄介で、その感情が大きくなるにつれ、裏でその中心人物の悪口を言うようになってくる。
納得しない相手が居ると、納得させる為の嘘までつくようになる。

その人を蹴落として自分が中心人物になりたい。
そういう野心が有る・無いに拘わらず、陰で人を貶めるような事を言い回る人間が1人でも居ると、その中の人間関係がボロボロになってしまう。
友達関係であったり、会社組織であったり、様々な人間関係を崩す。

私も実際、二十歳くらいの時にそうされた事が有り、その人達と離れたことが有ります。
若い頃ですから、双方に悪い所は有る。
ただ、裏でコソコソと陰口を叩くというのは人間としてどうかと。
結局その人間だけが駆除され、他のメンバーは元通りという結末でしたが。

人間は、自分の感情をコントロールする能力を持っている。
そのコントロールが、ある大きな欲望や嫉妬心で制御出来なくなると、あたかも自分は正しい事をしていると思い込み、他の人間を貶める言動をするようになってしまう。
誰かを「気に入らない」と思うとします。
その「気に入らない」という感情はその人の感情であり、皆が思っているものではないし、それが果たして正しいのかどうかも解らない。
それを自分勝手に「正しい」と思い込むから、「気に入らないヤツだから何を言ってもいい」と自分の言動を正当化してしまう。

私は親から「自分に何かが有った時は、それがどんなことでも、自分自身に原因が有ると考えろ」と教えられた。
車で信号待ちの時、後方車にぶつけられた時も、「自分の気持ちに何か浮ついた部分が無かったのかを考えてみろ」と言われた(ちなみに両親は無宗教)。
若い頃は理解出来なかったけれど、年々少しずつ解って来た。
何につけても「今の自分がこうなのは他人のせいだ」と思い込む事は、人間として恥ずべき考え方であり、そういう考え方をしている限りは成長出来ない。

外部の何かによって自分が変わってしまったり、迷ったりすることは有るだろう。
自分だけの問題ならば、それはそれで仕方の無いことだ。
自分で責任を取れば良い。
しかしその感情なり原因を外に向けてしまうのは、全くの勘違いに他ならない。
それでも通ってしまうことが有るとすれば、それは『周囲の人間が大人だ』ということだ。
そのうち「こっちが笑っているうちに止めてくれ」と言われるだろう。

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