謙虚さの裏側

2010年3月30日

(mixi日記と同じです)

今日は午前中親戚(ケイちゃん)の寮に行き、リカバリディスクを作成。
最後に会ったのは中学生の時で、彼女はあまり覚えていないらしい。
でも、そんな私に色々と自分の話をしてくれ、娘が一人増えた気がして嬉しい。
仕事が始まる前に一度実家に帰るということで、駅まで送った。

帰宅して娘(本当の)と話すと、どうやら息子の件で動きが有ったらしい。
その話で、私的には少し気が楽になった。
そういう理由が有ったのか。
最悪の状態でないだけ安心した。
ま、どうにせよやり方が悪い。
そこは親として絶対に認めてはいけないんだ。

そんなこんなで一杯やりたい気分になった。
独り飲みは苦手だけれど、そういう気分で渡辺商店へ向かう。
到着して30分くらい経った頃だろうか、私の隣にお客さんが座った。
(後で私の父よりひとつ上のお父さんだと解った)
渡辺商店は初めてらしいが、若干風貌が派手で目立つので、佐々木店長はそのお父さんを何度か拝見して知っていたらしい。

私はどの店でも、自分から他のお客さんに話し掛けることはない。
嫌なんじゃなくて、照れ臭いから。
でもそのお父さん、注文の仕方ひとつにしても過ぎるほど謙虚で、ちょっと気になってしまった。
「すいませんね~」
「ごめんなさいね~」
この二つを連発するお父さん。

佐々木店長の説明を聞き、お父さんはおでんの大根と豚もつを2本ずつ注文した。
この「2本ずつ」という部分にも、お父さんの気持ちがよく表れている。
忙しい店長に、これ以上説明をさせては迷惑だろうという気持ち。
そして人は、ある程度の歳になると失敗が怖い。
自分の知らないものを注文して、もしも何らかの理由で食べられなかった時の事を考えると、お店に悪い。
勝手な想像かも知れないが、自分の父を考えると、そんな気がした。

「昭和九年なんですね」
私は、こう話し掛けてみた。

お父さんの話はどれもが面白かった。
そして、そのひとつひとつの話に重みが有った。
この年代の人は寂しがっている。
人に触れたがっている。
しかし、目がよく見えなくなったり耳が遠くなったりと、歳をとる毎に体にガタがくる。
そういうことで、周囲に迷惑をかけてはいけない。
そんな気持ちが、このお父さんの「ごめんなさいね~」に繋がっているんだと思った。

「父とたまに飲むと、ずっとこうして一緒に飲む事が出来ればいいなぁと思うんですよ」
最初はお父さんの話の聞き役だった私も、段々と自分の話をするようになった。
このお父さんの哀愁がそうさせたのか、それともこの日の自分がいつもと違うのか。

「歳をとるということは寂しいもんですよ」
父もたまに言う言葉だ。
この歳の私も、実は段々とそう感じてきている。
以前出来た事が出来なくなってきた。
寝不足が続くと目が翳む時が有る。
以前より食べられなくなってきた。
疲れやすくもなってきた。

「あの店は最近ダメだねぇ…」
向こう側のカウンターで、こういう話しをしている年輩のお父さんも居た。
謙虚というよりは、悪く言えば傲慢というところか。
知ったかぶりはいけないけれど、私には解る。
あのお父さんも寂しいんだ。
自分の居場所を探している。
怪訝そうにされるのを怖がっている。
だからこそ虚勢を張っているんだ。

「癒し」という言葉が良く出て来るようになって、どのくらい経つだろうか。
人間は癒しを求めているんだそうだ。
こう言っては問題が有るかも知れないが、若い世代の人は、選択の幅が広いと思う。
しかし体が言うことをきかなくなってからは、幅が狭くなってくる。
テレビで見たい番組は少なくなり、パソコンを長くやっていると目が疲れる。
自分は今、ハッキリとこうして生きているのに…

この年代の人達は、テレビやパソコンというものではなく「人の温もり」を感じたいと思っているんだ。

「またお会い出来ますよね」と私はお父さんの手を握った。
「いけません、いけません、私はもう先が見えてる歳なんですから」
「そんな悲しい事を言わないで下さいよ」

「お父さんを大切に」
そう言って、そのお父さんは帰って行った。

私はその後ろ姿を見送りながら、どういうわけか泣いてしまった。
次から次へと涙が出て止まらなくなってしまった。
お父さんに同情したのだろうか。
可哀相に思ったのか。
そのどちらも違う事はすぐに解ったけれど、涙の理由は解らなかった。

今日もどこかで、「すいませんね~」と言いながら元気に飲んでいて欲しい。
そしてそれが、一日でも長く続けば良いと思った。

≫精肉問屋 渡辺商店のデータ


後にも先にも、「渡辺商店のカウンターで泣いた客」というのは私だけでしょうねぇ(笑)