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2006年12月31日

ミーが見付かりました!

昨日、最後の忘年会の最中に息子から電話。
「もしや?!」と思ったら、電話の後ろで家族が大泣きしているのが聞こえ、「あ、見付かったんだな」と解りました。
正直、ミーが居なくなってから生きた心地がしませんでした。
年末だと言うのに仕事に身が入らず、30日のスタジオ入りも、私の出来が良くありませんでした。 とにかく何に対しても力が入らなかったんです。

携帯を開ける度にミーの顔が出て来て辛かった。
「朝晩冷え込みます」とテレビで流れると、ミーは寒い中辛いだろうなと。いつも私の布団やジャージにくるまって寝ているのに、 外では寒すぎる。家猫だから外のルールなんて解らないし、きっと脅えているんだろう…食事はどうしているんだろうか。
もう家族全員が、ドアを開ける時にミーが出ないように気を使うクセがついている。居なくなってからも、ドアを開ける度に「あ、 ミーは居ないんだった」と悲しくなる。

毎日数時間、空いた時間を利用して探しました。
早朝でも深夜でも。
ミーの好きだった鈴を買って来てブレスレットに付け、それを持って全員で探しました。ここんとこ寒かった。 でもミーはもっと寒い思いをしているんだなと。きっとご飯食べていないんだろうなと。
色々なことを考えました。
これだけ毎日全員で探しても居ないんだから、他の人に拾われてしまったのではないか。
もしかしたら道路に出て…
そんなことを考えると、とても家にじっとしているわけにはいかなかった。

結局、家の近くのある場所に閉じこめられていました。
故意にされたものかどうかは解りません。
今から考えれば、家族が外に出ると鳴き声がしていたんです。
「どこかで小さな鳴き声がしないか?」
そう言っては、また近所を回って探したものでした。

ミーは家族の声がした時だけ、大声で鳴いていたんです。
だから誰かに気付かれることは有りませんでした。
ここ2日ほど、私が外に出ると鳴き声がしました。
それも遠くからです。
家から10メートルくらいの距離でしたが、中に入っていた為に遠くからの声に聞こえたんですね。 もっと早く気付いてあげられなかった自分が情けない。ミーが自分で開けることが出来ない場所だからと、そこを探さなかったんです。
ダメダメな飼い主です。

昨日娘が、「やっぱり鳴き声がするよ」と言い出し、名前を呼んだり口笛を吹きながらその方向に行ってみたら、中にミーが居たようです。 私は『飼い主』という感じですが、娘とは友達関係でした。私にはしませんが、 娘が立っていると体を駆け上って頭や肩に立ちます(笑)
そんな娘の声が解ったんでしょうね。
扉を開けるとすぐ寄って来て、娘に抱かれたようです。

これからは気を付けないと。
でも、また逃げてしまうかも知れません。
その時は今回の経験を元に、もっと早く見付けてあげたいと思います。
これからまたミーと寝ることが出来るかと思うと、涙が出ます。
帰って来てくれて有難う。
これから体を洗ってあげようと思います。

あたたかいコメントやメールを頂きまして、本当に有難うございました。
皆さんのおかげでミーは帰って来たと、心から感謝しています。
何分、今回のミーが来てから初めてのことでしたので、かなり動揺しました。
実は昨日の忘年会でも、弾けることが出来ませんでした。
主宰がそんなことではいけない。
解ってはいるけれど、精神的ダメージは自分が思っている以上のものでした。
参加して頂きました皆さん、ごめんなさい。
こんなダメな私ですが、今後とも宜しくお願い致します。

皆さん、良いお年をお迎え下さい!

2006年12月28日

有難うございます

ご意見・励まし、有難うございます。
昨晩話し合いをしました。
これからどうやって探したら良いか、作戦会議です。
「誰か連れて行っちゃったんじゃないか」と娘が泣きながら言っておりまして、確かにそういう可能性も有りますが、絶対我が家に帰って来ると信じて探すつもりです。
ミーはうちの家族ですから。

昨日は何もする気にならず、仕事が終わってからただひたすら歩いて探しました。しかし私がこんな状態ではいけません。
「絶対に帰って来るからな」と子供達を宥め、これから個人の空き時間の全てを捜索活動に使うという決意を固めました。
メスは行動範囲をあまり広げない、1週間から10日が勝負等、色々と調べましたので、全員に読ませました。
帰って来ると前向きに考え、出来ることは全てやってみたいと思います。

2006年12月27日

ミーが居なくなりました。

みんなの話を合わせて考えると、ミーが居なくなった時間は嫁が玄関を開けただけ。今までみんな、玄関を開ける時はミーがどこに居るか確認してから開けていたのに…
開けた嫁は、ミーが出たことに気付いていない。
どーしてなの?

しかし…
熱帯魚全滅事件に引き続き、またやってくれたのか_| ̄|○
余程私との相性が悪いらしい。

もう悲しくて何もする気がおきません…

2006年12月26日

初心者のギターの選び方

「子供が楽器やりたいっていうんだけど…」
こういう話が有りましたので、ちょっとお話を。
知っている話しか出来ませんので、あしからずm(__)m

まず、子供さんの性格からして、どの程度続けられるかですね。ワリと飽き性だったりしたら安いギターで充分。 たまたまハマっちゃって続いたら、腕が上達してから良いギターを買えばいい。
しかし、上達振りにもよりますけど、3年間(例えば軽音楽部に入るとか)またはそれ以上続ける気があるとか、「出来れば一生の趣味にしたい」 なんていう話になれば選択方法は違って来ます。
ここが一番難しいですよね~。

どこのメーカーが良い・悪いというのは言えませんが、やっぱり『楽器屋が作ったもの』というのは前提でしょうか。
例えば外国に工場を設けて楽器に何の関わり合いも無い人達に作らせているメーカーではなく、ちゃんとした技術者が居るメーカーですね。 最低限、そういうメーカーの楽器を選びたいです。

先日楽器屋さんのスタッフにもお話を伺ったところ、結論を言えば、 ちょっとしかやらないならば1万円ギター(アンプとかセットされてるやつ)、長くやるならばフェルナンデス以上ということでした。
価格で言うと、3~4万円くらい。

これは私が20年以上前に買ったギター。

フェンダージャパン

メインギターで年代物だから傷も多いけど、細かいトコ交換したりして何とかまだ使えています。
5万弱で購入したような気がする。
憶えてないや(笑)
結局私の腕は5万円にも届かないわけで、そんな私にこのギターは合っていたと思います。20年以上使えればOKでしょう。

さて値段が決まったら、後は形を選ぶ。
まぁ形は自分の好きなものを選べば良いわけで、大体は演る音楽によって選択することになるんでしょうね。
ちなみに私が最初に買った新品ギターは、当時流行っていた『KISS』というバンドの『エース・フレーリーモデル』。グレコで6万円でした。
これがまた失敗で(爆)
今は良い製品がたくさん有りますが、当時の○○○○○モデルというものはあまり良い製品は有りませんでした。 「あれを弾けばロングサスティーンが出せる」と思い込んで買ったんですよ、多分当時これを買った人達はね、 ほとんどそう思って買ったと思います。
ハンバッカー3つも付いているのにスカスカ(笑)

最初はオーソドックスなものにした方がよい(教訓)

値段も形も決まって、お店に同じギターが3本有ったとします。さて、あなたならどうやってそこから選択するか。その3本、 同じギターに見えるでしょ。オーダーメイドでも若干の違いが有るんだから、工場製品だと尚更です。
じゃ、どこを見るか。
結論を言うと、初心者では無理です。
ここまで引っ張っておいて、すみません(^_^;
良いギターは生音が良いと言われているけど、じゃあ良い生音ってどういうものかって言われると、そりゃもう経験しかない。
安いギターって、新品のうちから音がビビッていたりしますから。

初心者は、結局誰か知識が有る人に選んでもらうしかないんですよね。知り合いが居るならば、その人に付き合ってもらうとか。
知り合いが居ない場合は、もう店員さんにお願いするしかないんですが、一見客には「うちのギターは良いものしか有りません」とか言うはず。 だから、購入するまでに仲良くなっておくのも良い手です。

今日はこの辺で(^^)

2006年12月22日

誕生日3

今年の誕生日で頂いたのは手帖、毎年頂いているフレグランス、そしてケーキでございました。
こんな私の為に、毎年有難うございます。

誕生日プレゼント

あ、もうひとつ頂いたものが有りました。
○○日の○○○○(笑)

こういう誕生日なら有った方がいいかな(^◇^;)

2006年12月21日

誕生日2

先日ある同窓生と、「同窓会で会った時にどう変わっているのか楽しみ」という話をしていた。
同窓会か…
そういえば、数年前に少しだけ話が進んだんだっけ。
結局言い出しっぺからの連絡が来なくなり、そのまま中止。
方々に連絡をして、昔話をしただけだった。

1度代表者が集まったんだけど、私がちょうど『はな乃』というラーメン店を期間限定でやっている時で、日曜日は営業日の為に欠席。
後で電話をもらい、「いや~○○○、すっかりハゲちゃったんだよ」と言われ、一応「そうなんだ、でも○○○は学生の頃からその兆候は有ったよね」なんて言ったものの、電話を切ってから鏡を見て「私もそうだな」なんて思ったりした。

人間、生きていれば老ける。
当然老ける。
髪の毛は無くなるし、シワも多くなり、各パーツがショボくれてくる。肌のキメは荒くなり、まぶたは垂れ下がって、寝不足が続くとまぶたの外側を後方に引っ張らないといつもの目の大きさにならない。歯には隙間が多くなるから、食べながら喋るとその隙間から食べ物が出ちゃったりする(笑)

ここ数年、近くの字がかすれて見えるようになった。
44歳で老眼鏡はまだ早い方だと思う。
だから買わない。
従兄弟に言わせると「手をいっぱいに伸ばして見えるならば、まだ買わなくていいみたいだよ」とのこと。私はまだ30センチ離せばハッキリ見えるから買わない。
シワはまだ自分的に仕方無いと思えるんだけど、白髪・ハゲ・老眼鏡は極端に老けて見えるから嫌いだ。

他人は、それほど細かく見ていない。
顔を見ながら話をしていても、自分が気付くことの半分も相手は気付かない。それは「大凡の感覚」で相手を見ているからだ。
しかし、そこが解っていても嫌なものは嫌。
自分の老いというものを100%理解している人間がここに居るから。誰に気付かれなくても自分は全部知っている。

1年なんてあっという間に過ぎる。
その間に「老けたなぁ」と思うのはほんの数回で、忙しくてそんなことを考えている暇は無い。
自分の歳なんて忘れている日の方が多い。
そんな自分に「お前は○○歳だ」と、教えてくれる日。
それが誕生日。
ご苦労なことです。

知ってるよ。
いちいち言われなくたって。
44歳なんだろ?
年々人の名前がすぐ出て来なくなっているし、髭にだって白髪が出て来た。髪の毛は細くなって頼りない。先日なんか手が滑って片方の眉毛を剃り落としてしまい、もう一方もそれに合わせたら刑務所が似合うような人相になってしまった(爆)
それもこれも、全部歳のせいだ。
若い時はそうじゃなかったんだから。

それでも「おめでと~」なんて言われればニッコリする。
年々『苦笑い』に変化してきているけど(笑)
心からニッコリ出来たのは何歳までだったのだろうか。
5年前はどうだったんだろう。
10年前は?
そのうち、あまり「おめでとう」を言われるとキレるかも知れない(爆)
今はまだ20回くらいは大丈夫かな。
来年はその回数が減るんだろう。
50歳になったら、7回目くらいで逆上するかも。

やっぱり私は誕生日なんて要らない。

2006年12月20日

誕生日

この歳になっちゃったら誕生日なんて要らないよね。
今年の誕生日は、私が22日にリエゾンからオペラを買って「これで誕生日ね、あとは何もしなくていいから」で終了。
当日も、なぁ~んにも有りませんでした(笑)
「誕生日おめでとう」もなし。
自分で「何も要らない」って言ったんだからいいんだけどさ。

気付けばもう目の前にクリスマスですよ。
誕生日から1ヶ月経っちゃってるんだよね。
早く感じるのは、年末だからっていうことも有る。
こんな日に産まれた自分が悪いんだよ。
何でもっと気忙しくない月に産まれなかったんだろ。

小学校5年までは、父が予約して誕生日とクリスマスの2つのケーキを買ってくれた。そのうちに誕生日とクリスマスが一緒になって、「毎月ケーキ買うようになっちゃうでしょ~」なんて母に言われたりして。
親も大変だから遠慮して「そうだよね」なんて言ったけど、誕生日とクリスマスって意味違うじゃん。

学生の頃は誕生日に何個かプレゼントもらって「覚えていてくれたんだ」なんて感動したけど、お返しにクリスマスプレゼントあげて…
それだって誕生日とクリスマスがごっちゃになってる。
11月終わりの誕生日で、良い想い出なんか何もないんだ。
誕生日って、ひとから祝ってもらうから照れ臭くても嬉しいんでしょ。だから私は両親の誕生日を一緒に祝う。

そういえば、3月の誕生日の人が言っていた。
「みんなにプレゼントしても、冬休みになっちゃうからみんな忘れちゃうんだよ。新学期が始まったらクラス替えが有るからそれっきりだし…」って。
考えてみたら、それよりはマシなのかも知れないな。
でも、来年から誕生日なんか要らないや。

2006年12月11日

う~ん

ミーはパソコン2の机の下がお気に入り。

猫のミー
ちょっと画像が暗くなってしまいました(^ー^;

猫のミー

こういう表情を見ると、「やっぱりこの娘は猫じゃないんじゃないか」と思ってしまう私は、相当親バカですね(笑)
猫好きの人じゃなければ、どこから見たって猫にしか見えないんだもんねぇ。

猫って、こういう目つきだっけ?

2006年12月08日

BUTTERFLY EFFECT-バタフライ・エフェクト

【BUTTERFLY EFFECT-バタフライ・エフェクト】
監督
エリック・ブレス
出演
アシュトン・カッチャー
エイミー・スマート
ウィリアム・リー・スコット
エルデン・へンソン
メローラ・ウォルターズ
エリック・ストルツ

TSUTAYAって、オススメの映画には解説の貼り紙が貼ってあるんです。
「最後は感動して号泣」みたいな事が書かれていて、こう書かれていれば誰だって見たくなりますでしょ。
でもね。
TSUTAYAに貼り紙がした映画を今まで見て来て、8割くらいハズレを引いているんですよ、私(悲)
で、恐る恐る期待しないように見たわけ。
そしたらさ、またハズレ(笑)

いや、これを面白いっていう人も確かに居るんですよ。
でも私にすると、鼻血をキッカケにするって事が×なんです。
いいですか、冷静になって考えて下さいね。
鼻血ですよ、鼻血(笑)
もっと違うキッカケは考えられなかったのかと、そういう冷ややかな目で見てしまう自分が居て、毎回鼻血が出る度に「う~ん…」って感じになっちゃう。
だから、別エンディング見ても「う~ん…」って感じ(^^;

「もうTSUTAYAは信じませんから!」と心に誓っても、また貼り紙が有ったら手に取っちゃうんだろうなぁ(爆)

なんとかして下さい

風邪にご注意。

鼻タレ猫

携帯の待ち受け画像に是非お使い下さい。

2006年12月07日

退院の日

ご心配頂きました皆様、有難うございました。
父は何事もなく、本日退院することが出来ました。

今後も3ヶ月くらいは用心しなければなりませんが、今は手術が成功し、こうして自宅に戻って来ることが出来ただけで嬉しいです。
「一応言っておかなければいけないんだな」と思っていても、手術の危険性に関する話をされた時には、暗い気持ちになりました。「もしもが現実に有ったらどうしよう」という気持ちはずっと有りました。

夕食は野菜の天ぷらにしました。
お腹いっぱいに食べて、満足してくれたようです。
このまま順調に治っていきますように…

2006年12月06日

術後6日目

仕事中に父から電話が入る。
「明日退院出来るみたいだな」
あらあら、やっぱり母が心配で無理言ったのか?
先生は「出血が無ければいいでしょう」と言ったらしいが…
まぁ、本当にダメだったら先生も「うん」と言わないでしょうから、ここは素直に喜ぶことにします。

手術入院としては短期で済んだんですが、何となく長かったような気もします。ここ何年か具合が悪かったし、この手術に踏み切るまでに、調べるだけで1年掛かりましたから。
まだ全部が全部安心というわけではありません。
でも、この病院で手術をして良かったと今は思います。
最先端の医療機器が揃っていること、年間何人の患者さんがこの病院で手術しているか等、細かく調べた甲斐が有りました。

母もホッとして元気になりましたし(まったく、なんてヤツだ^_^;)、父も安心したのか病室で大声で話をするので、他の患者さんに迷惑だと思い、今日は長居せずに帰って来ました(爆)
うちの家系、声がデカイんですよ(;^_^A

明日、迎えに行って来ます。

2006年12月05日

術後5日目

父の具合が順調のようなので、本格的に仕事に出ました。
昼は『まるき』でねくさんとラーメン・チャーハンを食べ、夕方事務所に戻って電話連絡等を済ませ、母の所へ。
どうやら午前中から調子が悪いらしく、こたつで寝ています。
具合が悪い人を連れてはいけないので1人で行くと言うと、一緒に行くとごねる。この人だけはまったく成長しない人なんだなぁ。

ごねる母を置いて1人で父の病院へ行くと、先程父が母に電話をしたらしく「置いて行かれた」とブツブツ言っていたらしい。父が入院している時くらい問題起こさないで欲しいんだよなぁ>母
やれやれ…
父は「もう退院出来る」と毎日言っているけど、それは病院が許さないでしょ。母の様子が気になって、ゆっくり病院に居るなんてことが出来ないんだろうなぁ。
木曜日はデイサービスの日なんだが、うちのケアマネがまたスゴイ人で、それも行きたくないと言う。まぁ本当にスゴイ人なんで、当然と言えば当然なんだけど。
ケアマネ替えてもらうわけにいかないのかしら…

病院を出てから、請求書を届けたりで8時半帰宅。
食べる元気も無く、お酒飲んで寝ました。

2006年12月04日

術後4日目

朝食時に病院へ。
普通食に戻ったら、今度は「味付けがなぁ」と言う。
そりゃそーでしょ。
我が家は今まで、カロリー計算やら塩分調整なんて無縁の世界で暮らして来たんですから。母の体が弱いので、私達父子は自分の食べる物を自分で選択して来たわけです。自分好みの物を自分で味付けして来た。
そんな私達が、病院食なんて美味しく感じるわけがないんです。
どう考えても。

「こういうものを食べていればずっと健康で居られるのかねぇ」
「なんとも言えないけどね」

昼頃点滴の針が取られ、今後は飲み薬の治療に変わるらしい。
良くなっていると考えていいのかな。
その後「退院してからの生活」という紙を頂いた。
順調ならば今週末くらいに退院という話だったけど、この紙が届くということは順調なのかも知れない。

夕方母を連れて再度病院へ。
1人の食事はつまらないだろうと、夕食が終わるまで居た。
父は何回も「もういいから帰れ」と言う。
今まで6時には夕食を食べていた母がお腹を空かせているだろうという心配と、毎日面会に来ていると母が疲れてしまうだろうという心配。
母は気疲れするとすぐに寝込むから、自分のこと以上に心配している父。我が家はずっとこうやって生きて来た。常に父子で何十年も母の体を心配しながら生きてきた。
ここは、これからも変わらない。

夕食に母の好きな唐揚を作り、早めに寝かせました。
明日はもっと良くなっているといいな。

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2006年12月03日

術後3日目

日曜日ということで母と嫁、そして子供達を連れて父の所へ。
今日は朝から普通の食事が出たようです。
脱脂綿を大部分取り、幾分楽になった様子。
これで完全に出血が止まり、細菌の感染が無ければ退院出来るのかな。
父は「今すぐにでも退院出来るぞ」と言うけれど、実際にそうなるまでは安心出来ません。

帰りにスシローで昼食を食べ、子供の洋服を買ったり夕食の買い物をしたりするともう3時過ぎ。
それから夕食の豚の角煮を煮込みながら、見積書を作成。
パソコンのメンテをしたり、今後使用するであろうエフェクターの吟味やギターの電気系統をどのように改造するか考えているなんて、「結構お気楽じゃんか」と思いますか?(笑)

先日楽器屋さんで同い年の店員さんと話をしたんです。色々な話をしているうちに、なんて私は楽器自体に無頓着だったんだろうと反省し、今後の楽器選びはこの店員さんに相談しながら考えなきゃイカンと、固く決心をしたのでした。
この店員さんと意気投合した一番の理由は、初めて買ったギターが同じだったこと。「こんなギター絶対に買わないよなぁ」というギターだったんですよ、私とその店員さんが買ったギターは。
いや~笑いました(^_^;

エフェクターのことも詳しく説明して下さって、今の事情がどうなっているのかが解りました。
もう買うエフェクター決定。
しかし資金の調達が困難(T∇T)
千春さん、やっぱり我々の買うギターは今の1万円のギターじゃないみたいですよ。それを買うならば、程度の良い中古を購入した方が良さそうです。私の場合は今持っているフェンダーをリペアして使うのが一番良いみたいですね。

などと考えている間に6時半。
母を風呂に入れてご飯を食べさせ、布団に入ったのは0時過ぎ。明日は自分のMRI検査なので、寝坊しないようにしなくっちゃ。

2006年12月02日

術後2日目

朝病室に行くと、吸入器が取れてすっかり父は起きあがっていた。
元気そうだ。
今まで点滴の経験が無いので、とても気になる様子。
でもこの中には止血剤・栄養剤・化膿止め等大切なものが入っているんで、もう少し我慢して下さいよ。

朝食の時間になって取りに行ったら、お盆の上に3つ。
ご飯の茶碗・みそ汁の茶碗・ヨーグルトジュース。
予想はしていたけどご飯茶碗の中には粒が無し。
お味噌汁も汁だけ。
普段からシッカリ食べる父なので、非常に残念な様子でした。
後で聞いてみると、この年齢でこれだけの回復力は珍しいらしく、普通は2日目もあまり食べられないそうです。
やはり私の食い意地は父譲りなのか(笑)

脱脂綿を取り替えてあげたり、診察に付き添ったり、仕事の電話をしたりしているうちに昼食時間。
「昼食は普通だといいねぇ」と願う2人。
気になって配膳台を覗きに行ってみた。
おぉっ! お椀の数が多い!!
「やったね、普通食になったみたいだよ」と言いながらご飯茶碗のフタを開けてみると、やはり今回も粒が見えない(涙)
五分粥になったとはいえ、これじゃ~食べた気がしないよね(^_^;

全身麻酔の場合は内臓の機能も弱ってしまう為、2日くらいは様子を見ながら食べないと消化不良を起こします。
2日目の昼食からおかずも付いていますから、これは結構良い食事なんですけどね。本人は「もう少し味が欲しいなぁ」なんて贅沢言ってます。
ま、退院したら美味しいもの作ってあげるからさ。

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2006年12月01日

手術当日

8時15分に手術室に入るということで、7時半に面会。
「もしものこと」も考えて、手術前に会う時間を設けようという病院の配慮なのでしょう。嫁と母を連れて行って来ました。
病室に入ると、既に父は少量の麻酔薬によって半分「ボー」っとしていました。
私達の「頑張ってね」という声を受け、父は手を振って手術室へ。
時間は結構有ったけど、手術後の病院からの説明は無し。

「麻酔が切れて部屋に戻るのが午後になるでしょう」という看護婦さんの話により、私は嫁と母を家に送り届け、それから今日どうしても行かなければならない仕事へ。
10時25分頃病院から電話が入る。
「手術が終わって医師からの説明が有るんですけど誰も居ないので…」
そんな説明無かったじゃん?
そんなことを今更言っても仕方ないので、とにかく成功したのかどうかを聞いてみた。
「電話では一切お答え出来ないんです」
こんなことを言われたら、尚更心配になるんじゃないかねぇ。
電話で言えないほど大事な話ということは、手術中に何か有ったんじゃないかとか、もしかしたら脳の壁を…なんてことを心配しつつ、病院へフルスピードで戻る。

小走りでナースステーションへ。
その場を離れた理由と、とにかく成功したのかを聞きたいと告げると「現在担当医が居ないので状況が解りません」とのこと。
いや、私はですね、失明の恐れがあるとか、脳との壁になっている骨が割れると命に関わるとか聞いていたので、そこだけが知りたいのですよ。そこだけでいいから知りたいでしょ、普通。
そこで担当でない看護婦さんが「もしもの場合は一般病棟に戻れませんので、大丈夫だと思いますよ(^^)」と言ってくれる。
それを聞いて「そりゃそうだな」と納得。

部屋に行くと、そこに父が居た。

手術後の父

まだ麻酔が切れたばかりだけど、何とか普通の話が出来る様子。
目もちゃんと見えるようで一安心。
「このまま3日ほど大丈夫ならば、後遺症の心配は無いでしょう」と1時過ぎに担当医師から説明が有り、またまた安心。
3時過ぎには「起きてトイレ行きたい」なんてことを言い出し、看護婦さんに「全身麻酔だから今日一日は起き上がれないですよ~」と言われる。
かなり元気だ。
手術を担当してくれた先生は、夕方にもまた様子を見に来てくれました。かなり親切で、やっぱりここで良かったのかなと思いました。

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