はじめに

このページは、「B食隊たいちょ・B食隊隊員の皆様・紹介者」が実際に「食べた・飲んだ・お店に行った」等の情報を扱っています。
載せているのは以下の情報です。

  • 食べ物、飲み物などの商品の情報
  • 飲食店の詳細
  • B食隊、もしくはB食に関するその他の情報(店舗等)
  • 地域情報(ご近所様限定ですみません)

※ 定休日、時間、品物やメニューの価格等は情報を載せた時点のものであり、変更される可能性があることをご了承下さい。
※ 個人が運営しているのページですので、話半分で読んでいただければと思います。信頼するかどうかにつきましては、皆さんの責任においてお願い致します。

このホームページについての補足事項は、以上です。


それ以外の、細かい説明に関しましては、以下の通り。
長文ですので、ご注意を。
「読みたい!」という、珍しい人だけ読んで頂けたら幸いでございます(笑)

B食(びーしょく)とは?

「B食(びーしょく)」という言葉はこのホームページを立ち上げた頃に私が作った言葉で、「安価で気楽に食べられる、一般庶民にこよなく愛されている食べ物」という意味です。
高くて美味しいのは当たり前です。そういうものは、裕福な人々の口に入れば良い。
私のような低所得者でも気楽に食べられ、お財布に優しく、普段着で通えて、食べたら幸せになれるような、そんな食べ物を「B食(びーしょく)」と呼んでいます。

「B食(びーしょく)」は、安価で、気軽に食べられ、そのレベルは限りなくA食(値段が高くて我々一般庶民の口に入りにくい食べ物)に近い食べ物という敬愛の意を込めて使っていますが、それに該当しない食べ物につきましても、このページで扱う場合が有ります。
この部分が何故曖昧かと言いますと、味覚や価値観には個人差が有るからです。
その「味覚や価値観」に白黒を付けるということは不可能ですので、「B食(びーしょく)」という言葉にはある程度広いキャパシティを持たせて考えています。

B食隊(びーしょくたい)とは?

「B級食物突撃隊(びーきゅうたべものとつげきたい)」の略称です。

私がこのホームページを立ち上げた頃は、B級グルメの食べ歩きを扱っている個人ページがほとんど無かったんですね。
最初のサイト名は色々で「松戸グルメ」とか「Kan'sのたべ★しゃべ(食べたり喋ったり)」というものでした。
数年間運営しているうちに、徐々にネット友達が出来るようになりまして、「本音のCAD・CAM」を主催している方から「面白い本が有るよ」と送って頂いたのが「恐るべきさぬきうどん」。この時に本を紹介してくださった人が、後にB食隊西日本のしぶちょ(支部長)となるわけですが(笑)

「恐るべきさぬきうどん」には “ 麺通団(めんつうだん) ” という組織が有りまして、本の中でも面白く扱われています。
楽しいものに目がない私は「これはいい!」と感じ、すぐに「B級食物突撃隊 → B食隊」を作りました。

最初はトントン拍子に進みまして、隊員が30名ほどになりました。
さて、どうしましょう。
しぶちょは「これからたいちょが日本全国を飛び回って隊員を増やし、B食を普及させるに違いない(`・ω・´)」と思っていたようなんですけど、いつ倒れてもおかしくないような小さい会社を持っていたもので、休みもなければ、それを行う資金もありません。
だいたい、旅行という旅行にも行かない人が、日本全国回るなんて想像が出来ませんもの。
飛行機の乗り方すら、分からないんですから(^o^;

本来はしぶちょが考えていたように、あのままの勢いで私が普及活動をしていけば、今頃数千、いや数万人規模の人が集まってB食隊を運営し、“B食ビル”のひとつも建っていたのかもしれません(あくまで妄想)。
本当に不甲斐ないワタクシ… (>_<)
結果、西日本・東日本で別々に1回ずつオフ会を行い、その後東日本では数年間忘年会が続いたものの、オンラインのみの活動となりました。オンラインの活動と言いましても、私がホームページの更新をし、たまに掲示板やチャット等でコミュニケーションを取るだけでした。

細々と数名でのオフ会が続きました後、私が小学生の頃から夢見てきましたラーメン業界と繋がりができました。
千葉拉麺通信」との出会い、「闘魂ラーメン(今は“麺屋花形”)」の池澤さんとの出会い(本当に色々と勉強をさせて頂きました)、「東京らぁめんちよだ」の丹羽さんとの出会いなどがありまして、最終的に期間限定らーめん専門店“香味拉麺はな乃” のオープンとなります(第2期)。
香味拉麺はな乃はB食隊ボランティアスタッフで運営していまして、スタッフの皆様には大変お世話になりました。
本当に有難うございました。

香味拉麺はな乃が終了し、お店に通って頂いた皆さんもB食隊に入隊して頂いたりしまして、それなりにまた人数が増えて来ました頃、飲み歩きの大先輩 “ シューテンさん ” が入隊してくださいました(第3期)。
それからまたオフライン活動が復活し、活動時間が昼から夜に変わります。
多い時は、月の半分は飲み歩いておりまして、相方(うちの嫁)から「家出したのかと思った」と言われた時期も有りましたねぇ(遠い目)。

その後、私は母親の介護があり、徐々にオフライン活動に出られなくなりまして、最終的にB食隊オフライン活動は消滅。
母の介護が終わり、今度は父の世話(一人っ子なものですから)。
そして私自身の転職活動がありまして、現在に至ります。
B食隊の中で、何人かとは今でもたまにオンラインで連絡をしていますが、現実的には休眠状態ですね。
私は父の介護が全て済むまで、何か活動をする時間も気力も体力も、今はありません。
またいつか、自由な時間を持つことができて気力が湧いてきましたら、何か始めるかもしれません。

今までB食隊として関わって頂きました皆様、本当に有難うございました。

私の記録

「だから何?」という内容になります。
昔話… ですかね。
私が何をやってきたかという、食べ物に関係した備忘録的なものです。

小学3年生の頃、私の父が東京都立川市でラーメン店を開きました。
本業は車のセールスで、副業としてのラーメン店。もしかすると共同経営だったのかも?です。
父は時間の空いた時や本業が休みの日に顔を出す程度で、母はフロアに入っていました。
その時に雇った「なべちゃん」の仕事っぷりが私は大好きで、毎日学校が終わると見せに行き、なべちゃんの料理する姿を見ていました。
その時に思ったんですよ。
「大きくなったらラーメン屋になって有名になる!」と。

小さい頃から料理が好きでした。
学生の頃は、多い時で3店舗掛け持ちでバイトをしていまして、給食・イタリアン・中華料理・ファミレス・喫茶店と、色々なお店でノウハウを学び、ノートに書き溜めていました。

で、ラーメンなどの食べ歩きをホームページにアップしていくと、知り合いも増えるんですね。
当時は食べ歩きのホームページなんて、日本全国を見ても数えるほどしか有りませんでしたから、目に止まります。
私はラーメンマニアとかオタクではなく、作り手の方ですから、食べるのも好きですけど、「このスープ、どうやって作っているんだろう」という作り手側から常に見ていて、そこも珍しかったんだと思います。
店主がホームページを運営しているお店なんて、ほとんど有りませんでしたし、当時は「そんなことをしているならば、厨房に立って仕事をしろ」的な世の中でしたから。
作り手から見た感想をホームページに載せるというのは、他には有りませんでした。

そうこうしているうちに、私はラーメン店の厨房に立つわけです(笑)
長くなるので経緯は書きませんけれど、そのうちに千葉ウォーカーの企画で取材を受けたり、ラーメン対談みたいなものに出たり、限定ラーメン企画で新作を作ったり、ラーメンイベントに参加したりするようになり、最終的には土日限定で4ヶ月という短い期間でしたけれど、B食隊の皆さんにお手伝いをして頂きながら、香味拉麺はな乃を運営しました。

この時期に、たった2つだけ新しい試みをしました。

  • ラーメン専門店で初めて、「あえそば」というネーミングで汁なしラーメンを出した。
  • ラーメン専門店で初めて、「鴨を使ったつけ麺(鴨つけ麺)」を出した。

①は、「油そば」というネーミングでぶぶかさんが有名だったのですが、あれは他のジャンルの汁なしラーメンから来たものではなく、私の「あえそば」は中華料理・中国料理から来ていますので、まったく別物。実はぶぶかさんの油そば、未だに食べたことがないんですよね(^^;
今では「油そば」「あえそば」「まぜそば」などの名前で当たり前のようにどのお店もメニューに有るようですが、当時はぶぶかさん以外、ほとんどのラーメン専門店で汁なしラーメンを出しておらず、中国料理の「あえそば」に限って言えば、専門店で出したのは私が一番だと思います。

②ですが、千葉ウォーカーの企画で限定ラーメンをお願いされた時に「鴨つけ麺」を出しました。なんて言う企画…というか、お題だったら忘れてしまいましたが、とにかく限定(笑)
当時は「東京らぁめんちよだ」さんにお世話になっていまして、私は印西店(現在は閉店)に居ました。
その後は色々なお店で「鴨汁つけ麺」などの名前で出されるようになりましたけど、世に一番早く送り出したのは私ということになります。

①も②も、当時ネットで調べてから出しましたので、おそらく間違いないと思われますが、違ったらすみません。
ネットに出ていないだけで、どこかのお店のメニューに有った可能性も有りますもんね。
でも、誰が先に流行らせたかなんて、私としてはどうでもいいです。
自分が、世の中でまだ流行っていないメニューをいち早くお客さんに出して、それを「美味しい♪」と認めてもらった。
それが嬉しかったからです。
そしてその後から、鴨つけ麺は色々なお店で出され、あえそばはラーメン店の定番メニューとなりました。
美味しいものが受け継がれ、広がっていく。
それって、私は素晴らしいことだと思います (o^_^o)

また気が向いたら、どこかのお店の厨房に立っているかもしれません。
そこまでの元気はなくても、私は生きている限り料理をしていたい。
お客さんは、家族であったり、友人であったり。
食べて喜ぶ顔が見たいから、私は死ぬまで料理を続けていきます。

長文にも拘らず、最後までお読み頂き、有難うございました。

料理は愛情!!

2010年5月8日